ガラクタリウム

「……何やってんだ、お前」
「ぎゃー、ちょ、なに、待って、ヤダってば!」
 ドアを開けたとたん、切羽詰っていることだけは良く分かる色気のない悲鳴がとんできた。
「みっちゃん、入ってこないでー!!」
「悪いけど、入れって言ったって無理だろこの状態。てかみっちゃん言うな」
 8畳の部屋の真ん中に座り込んでいる女の子。ジーンズにパーカー、というラフな部屋着でぺたんと座っている姿は普通だろうが、ソレを取り巻く状況が普通ではなかった。
ベッド、机、本棚といった一般的な家具が十分な余裕を持って並べられているハズの空間が、ありとあらゆるモノで埋め尽くされている。ようは押入れの中身を引っ張り出した状態、なのはよく分かるが、床が見えないほどモノが散乱しているのはいっそ壮観だ。
「みっちゃんはみっちゃんだもん。ていうか! 何でいるのよ!」
「みっちゃんはやめろって。俺もう24だぞ、ハズカシイんだよ」
 そりゃあ、小さい頃はみっちゃんと言われたって平気だったけれど。道隆というありふれた名前はちゃんとあるのに、こいつがみっちゃんを連呼するおかげで、近所のおばちゃんたちまでみっちゃんとしか呼ばないのは結構キツい。
「もうすぐ引越しだっつーのに荷物が片付かないお前を見かねて、おばさんからSOSがあったんだよ。部屋に入れてくれないし、がらくただらけだし、何とかしてくれって」
「ママー!なんでみっちゃん呼ぶのよー!!」
 春が来たら大学生という幼馴染の深雪は、座り込んだまま階下に怒鳴った。おばさんは買い物に行ったと告げるかどうか、俺はちょっと悩む。
 俺と深雪は家が隣同士の幼馴染ではあるけれど、学校関係での接点は皆無だ。6歳差というのは、小中高大どの状況でも同じカテゴリに在籍できないからだ。正直に言えば、俺が小学校の頃のこいつの記憶はない。遊び盛りの男の子が、2歳や3歳の女の子に興味を持つ可能性は結構低い。
 その代わりといっては何だが、深雪の高校受験、大学受験と家庭教師の真似事をすることで縁は深まった。大学生の片手間バイトとしては気遣いがなくて楽だったし、大学卒業後情けなくも就職にあぶれた俺の財布には、結構貴重な資金源でもあった。
 そうした先生生徒の関係は、深雪が先日無事に志望校に受かったことで終わったハズだった。お祝いとお礼を兼ねて焼肉を奢ってもらったが、アレは美味かった。
 けれど今回、隣同士のよしみで時間外労働が追加されたのだ。
 深雪が合格したのは県外の大学で、必然的に一人暮らしが必要だ。部屋の契約も住んで、後は荷物を抱えて引っ越すだけ、という段になって、問題が発生したらしい。
 荷造りついでに要らないものを処分しようとしたおばさん相手に、深雪が強硬に抵抗しているらしい。連日の大喧嘩を含めたその辺の事情は、誰に聞かなくても筒抜けだったりする。部屋同士が庭を挟んで向かい合っている状況で、そういうプライバシーは残念ながら、ない。
「お前さ、あんまりおばさん困らすなよ。というかおもちゃが捨てれないってドコの小学生だ」
「うるさいのー! みっちゃんに関係ないもんー!」
 クッションを抱えて駄々をこねる姿は、どうしても花の女子高生、来月からは女子大生なんて呼ばれる存在には見えない。
「お前の荷造りが進まないから借り出された俺の立場ないだろ、それ。ホラ、ゴミは出せ」
 勝手知ったる女子高生の部屋、と言えばミリョクテキな響きだけれど、踏み込むにはモノが散乱する床は危険すぎた。プラスチックの棒やら尖った部品やら、靴下の足で踏んだら流血しかねない。
 手近に埋もれているなにやら真っ赤な板を引っ張れば、ずるりと全身を現したのは昔はやった戦闘兵器のプラモデルだった。……いやいや、女子高生18歳の部屋には、普通こんなの転がっていない。似つかわしくないという意味では、群を抜いている。
「お前、こんな趣味あったっけ?」
「だめ、ダメ、絶対捨てちゃだめー!」 
 深雪が真剣な顔で抵抗する。
 いやいや、今時小学生でも見向きもしないぞこんなロボット。
 それが思い切り顔に出てしまったらしい。深雪の唇が、見事なまでにへのじにまがった。
 気に入らないことがあると、深雪はすぐにへそを曲げる。こんな風に唇をゆがめて、黙りこくったまま動かなくなるのだ。年の近い相手なら対処のしようもあるけれど、俺とこいつの場合、圧倒的に俺が不利だ。
 そう、おばさんがちょっと遠くの店まで買い物に行く間、中1だった俺は幼稚園年長組の深雪の子守をおおせつかったことがある。公園で遊ばせておけば、と思っていたのに、一緒に遊んでくれないとこいつは盛大に拗ねたのだった。幼稚園児を泣かす中学生、そんなみっともない状況はゴメンだと、右往左往した記憶がある。
 それからも、ちょくちょく座り込んで動かなくなった深雪に遭遇した。子供らしいわがままだとは思っていたけれど――まさか、10年以上たっても治ってなかったのかその性格。
「――とりあえず、理由、言ってみ?」
 俺は、とりあえずそう言った。あの頃みたいな子供特有の、本人にさえ明文化できない突発的な感情の波でないことを祈る。というか、18歳ならそれくらい説明してくれ。
「みっちゃん、覚えてないの?」
 けれど、返ってきたのは変化球だった。覚えてるってなんだ、俺が関係してるのか?!
「だって。だってそれ、みっちゃんの大事な宝物、みゆきにくれたんんじゃない!」
 ――なんですと?
 下手な問い返しをして泣き出されてはと焦った俺の前に、深雪はあっけなく答えを出してくれた。けれど問題は、全くもって心当たりがないことだ。
「泣いてたみゆきに、こいつがいっしょに居たら何にも怖くないぞ、俺の代わりのお守りだってくれたじゃない!」
 プラモデルの元のアニメが流行った頃、確か俺は小学生だったはずだ。なけなしの小遣いをはたいて買ったプラモデルを、友人たちと自慢しあっていたような覚えは、確かにある。
 それを、俺は何かの拍子に深雪に譲ったらしい。おそらくは、子守りを頼まれたときに毎度のごとく泣かれたか何かしたのだろう。宥めるための精一杯の贈り物が、当時の俺の場合プラモデルだったわけだ。その存在自体、どころか、小学校時代の深雪とのエピソードがまるごと、記憶から零れ落ちてしまっていたらしい。。
 ありがたいことに俺の困惑などには気付きもせず、深雪は言い募る。
「だって、みっちゃんのくれたもの見てると、元気が出るんだもん。受験もがんばれたもん。だからこれ、みゆきの宝物だもん。大学遠いとこだからみっちゃんにあえなくなるもん。だから、みっちゃんの代わりにもってくのー!」
 ちょっとまて。
 口調が思いっきり子供にもどってるのはまあ、大目に見るとしても、なんだその背中がムズガユクナル理由は。
「だって、みっちゃんとあえなくなるの寂しいもん!」
「あのな、深雪」
 今は日曜日の昼間で、それもお前の部屋の窓は全開なんだ。そんな大声出したら、夕方には近所のおばちゃんがたの噂のネタになってるんだけどなあ。
 それにしても驚いた。本人は気付いてないんだろうけど、ここまで分かりやすい告白もそうそうないと思う。
「みっちゃんは、みゆきが居なくなっても平気なの?!」
 その上、ちゃっかり返事まで求めてくれる。
 そもそもが、寂しいとか言うくらいなら、新幹線で3時間もかかるようなところの大学を選ぶんじゃない。ついでに、俺はようやく内定貰って、春からこっちの会社で働く予定なんだよ。付いて行きようがないだろうが。
 だいたい、家庭教師を引き受けるくらいから、勝手に気まずくなっていた俺の男心はどうしてくれる。
 隣の家の女の子、というには綺麗になって、そのくせいつもみっちゃんみっちゃんとなついてくる。それが昔からちっとも変わらないから、隣の気のいい兄ちゃんでいる気になっていたっていうのに。
「みっちゃんはみゆきのなの! ずっとみゆきのものだったんだから、これからもみゆきのものじゃなきゃ駄目なの!」
 そこまで言い募って、深雪は俯いた。床に座り込んで、しゅんと肩をおとして。  自分の言い分が通るまで頑として譲らなかったあの強気な態度ではなく、小さく丸まった背中。
 そして、みゆきのわがままだよね、と小さく呟く声。
 そのタイミングでごめんなさいって折れるとか――

 正直、反則だと思うんだ、俺。

「深雪、そんなもん捨てちまえ」
「なんでよう」
 俯いたままの声は、完全に涙声だ。もしかしなくても、泣かせたのは俺だ。
 俺は、痒くもない頭をかきむしった。いや、痒いのは、これから言う俺のセリフだ。
「お前がソレ持ってったら、俺のガキの頃に負けたみたいで面白くないんだよ。さみしかったら電話してくりゃいいじゃないか。俺のアドレスも番号も知ってるだろ。それでも寂しかったら、こっち帰ってきたときデートしよう。俺も仕事見つかったし、今より金持ちだろうしさ」
「ホント?」
「そんな昔は忘れろ。どうしても何か欲しいなら、今の俺が指輪でも何でも買ってやるからそっちもっていけ」
 深雪の泣きべそは、びっくりした拍子に引っ込んだらしい。そうまじまじ見られても恥ずかしいんだけどな。
「その代わり、4年たって大学卒業したら、お前ごと返してもらうからな。くっついてくる気があるなら、婚約指輪でも結婚指輪でも買ってやる。お前が22で俺が28、丁度いい頃だろ」
「いいの?」
「4年たってもお前の気が変わらなかったらな」
 ああくそ、告白するならかっこよく、なんて些細な俺の夢をあっさり砕いてくれる。それも自覚ナシの告白の主導権を奪い返すだけで精一杯なんて、ああ、情けなさ過ぎる。
「みっちゃん、ありがとー!!」
 心の中で落ち込んでいる俺をよそに、立ち上がった深雪は器用にがらくたの山を飛び越えて飛びついてくる。とっさに腕は出したものの、勢いを殺しきれなかった俺は2,3歩よろけてしまった。
 子犬のように全身でなついてくる深雪の頭を撫でながら、俺は4年の間に終わらせておかなければならなそうな自分の改造計画を、めまぐるしく立て始めていた。


「ところで深雪、何が欲しいにしてもまず、お前の部屋の片づけからだからな」

 その後、ひとしきりはしゃいで落ち着いた深雪の部屋を二人で片付けたのだけれど、“みっちゃんの思い出”という名の過去の遺物がいろいろと障害になった。
 引っ越した深雪の部屋に、俺の抵抗も空しく連れて行かれたがらくた類は、四年間の間に処分するリストのトップに並んでいる。


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