We can be Heroes

 こんなはずじゃなかったのに――。
 冷や汗をかきながら隣をみると、ルイも同じような顔をして僕を見ていた。
 僕たちは今、絶体絶命のピンチに立たされている。 

 事の発端は、僕たちの幼馴染の女の子マーサのちょっとしたお願いだった。彼女は僕たちが密かに想いを寄せているひとつ下の女の子だ。
 マーサのお願いは決まって、僕たち二人に向けられる。内容はどちらか一人でも問題なくこなせるはずなのに、必ず二人に同じお願いだ。だから、どちらがマーサのお願いをより完璧にこなせるかで、いつもルイとは火花を散らす競争になる。クールでかっこいい男を目指している僕としては、ルイと角突き合わせている最中を彼女に見られたくないのだけれど、マーサはそういうところも全部気付いていて、あえて僕たち二人を競争させているような気がする。そういう意味では、マーサは結構な女王さまかもしれない。
 いや、話がずれた。
 今日も今日とて告げられた彼女のお願いは、「アルマの花を摘んできてほしいの」という実に女の子らしいものだった。アルマの花というのは、紫がかった青色の小さいけれどとてもきれいな花だ。野原を探せばちらほらと咲いているのをみかけることができる。
 けれど、マーサのお願いには条件があって、「花冠が作れるくらいいっぱい」の量を集めるとすれば、草原中を駆け回らなければならなくなる。親指の先くらいの花だから、冠をつくるには一抱えくらいの束が必要だ。
 それを効率よく集めることができる場所といえば、子どもだけでの立ち入りが禁止されている森の中になる。禁止という言葉ほど魅力を覚える僕たちにとって、実は森の中は秘密の遊び場だ。アルマの花が咲く場所も良く知っている。
 だから僕たちは、花冠に首飾りを作ってもあまるくらいの花束をプレゼントするつもりで、お昼ご飯を済ませて森に乗り込んだ。

 二人ともが両手に抱えるほどの花を摘んで森の出口を目指したのは森に入ってから小一時間経った頃だろうか。山ほどの量になったのは、相手よりも多く摘んでやろうという意地の張り合いをした結果だ。
 どっちの花を彼女は先に受け取るだろうか、どう言って渡したらカッコイイだろうか、そんなことを考えながら歩いていた僕たちの耳に低い唸り声が届いたのは、あと少し小道を行けば出口が見えてくるという位置だった。
 声がするのは小道から少し外れた茂みの中。そちらに顔を向けた僕たちは、痩せた一匹の野犬がよだれをたらしながら近づいてくるのを発見した。
 大人たちが、子供だけで森に入ることを禁じているのは、こういったモノがうろついていているという理由が、実は大きい。僕たちにしてみれば、少し怖いし危ないのも分かるけれど、実際のところ大した相手とも思っていないのが本音だ。今までにも何回か出くわしたことがあったけれど、大声を出したり石を投げつけたりすれば尻尾を巻いて逃げていくことも知っているからだ。
 だから今日も、いつもの要領で追い払ってしまえばよかった。なのに、目の前に迫る野犬がいつもより殺気立っていたのと、目的を果たす直前で気が緩んでいたのとで、僕たちは正直びっくりしてしまったんだ。唸り声を上げて近づいてくる野犬の姿が、とても怖かったんだ。
 悲鳴を上げて駆け出したのは、僕とルイとどっちが先だったろう。どっちが先でも笑えないくらいほとんど同じタイミングで、僕たちは逃げた。それも、最悪なことに森の奥に向かって。
 野犬は当然追いかけてきて、僕たちはすぐ後ろでガチガチなる音におびえながら、必死になって大きな木の上に逃げ延びた。
 とりあえず牙の届かない高さには登ることができたけれど、腹をすかせているらしい野犬は、幹の周りをぐるぐる回り続けていて何処かへ行く様子もない。降りるに降りれなくなった――というのが、今の僕たちがおかれた状況なんだ。
 
 僕たちの登った木は、足場になる枝はそれなりにあるけれど、腕を回しても届かないくらいの太い幹をもつ大木だった。とっさに目立つ木に飛びついたから当然の結果だけど、太い幹に一時間もしがみついているのは、子どもの体力としては限界に近い。口には出さないけれど、僕の指先はさっきからしびれ始めている。
 落ちるのは嫌だし、犬だって怖い。けれど、もしこのまま夕食の時間まで僕たちが帰らなかったら、父さんや母さんが心配するだろう。僕たちが森に入ったことはすぐに分かるだろうから、そうしたら最悪でも助けは来る。くるけれど、言いつけを守らなかったことで大目玉を食らうことも確実だ。
 僕は足元を覗き込んだ。野犬はあきもせずにこっちを見上げている。
 何か投げつけたら逃げていくのに。
 僕は、大事に抱えた花束を見た。幹によじ登るときにすこしこぼれてしまったし、ぎゅっと握り締めていたせいで残りの花もしおれ始めている。ルイの抱えた方も状態に大差はないようで、僕のほうが木登りが下手な分、こぼしてしまった量がすこし多いくらいだ。
 ルイは、泣き出しそうなのを無理やりこらえているのか、唇をひん曲げている。それを笑う気にならないのは、たぶん僕も似たような顔つきになっているからだ。それどころか、ルイが一緒にいなかったらとっくの昔に泣いてしまっていただろう。
 もう一度抱えた花を見て、僕は決心した。
「え、ちょっと、なにやってんだ!?」
 ルイが驚くのを尻目に、僕は花束を野犬めがけて力いっぱい投げつける。
 いきなり降りかかってきたものに驚いて、野犬が飛びのいた。その鼻先に、僕の靴がべこんと音を立てて命中する。花を捨てて空いた手で、脱いだ靴を投げつけてやったのだ。
 突然の反撃に、野犬はギャンと情けない悲鳴を上げた。僕が残りの靴も振り上げているのをみたのか、野犬は文字通り尻尾を巻いて逃げ出した。
 木立の向こうに野犬の姿が完全に消えるのを待って、まずルイが地面に滑り降りる。僕もすぐ後を追って、投げた靴を履いて駆け出した。今度こそ森の出口に向かって。

 森から出ると、まだ日暮れには程遠い時間だった。あんなに長い間木にしがみついていたのに、と呆然とするけれど、実はほんのちょっとの間だったみたいだ。
 上がっていた息が落ち着いてくると、花を投げつけてしまった後悔が押し寄せてくる。ルイの花束は無事だから、今回の勝負はルイの一人がちだ。
 次に挽回すれば良いさ、と心の中で呟いた僕の目の前に、ルイがいきなり手を差し出した。
 視界いっぱいに広がる紫。
「助けてくれたお礼。だから半分こ」
 首を傾げた僕に、難しい顔をしたルイが言う。その顔はすぐに笑顔に変わって、僕もたまらずに噴出してしまう。
 結局半分になった花束は、二人の連名でマーサに贈られ、立派な花冠に変身した。

 いつか、ルイよりカッコよくなってマーサの心を射止めてやる。その決意は変わらないし、勝負に負ける気だってない。
 けど、こんな友情もなかなかに捨てがたいよね?

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