星占い

 カララ、カラ、と軽い音が暗い室内に響いている。
 灰色の石を重ねて造られた円形の部屋は、部屋というには少しばかり様相をことにしていた。
 石壁は大人の腰の高さほどまでしかなく、その上の屋根を支えているのは、四本の支柱だけで、屋根と壁との間からは外の様子が見渡せる。
 そこは、物見の塔として造られた建物の、最上階だった。
 カララ、カララ、カラ、カララ。
 軽い音は続いては止まり、止まってはまた始まる。
 音を立てているのは、一人の少女。纏う衣服の肩から先に布地はなく、塔に吹き込む風がその白い肌を容赦なくなぶっている。
 彼女の前には、この部屋のほとんど唯一の調度品である机が置かれている。その上にあるのは、全天の星を映す天球儀と平たい水盤、それに黒ずんだ水差しだけだ。
 少女の指が、天球儀を回す。
 指先の命じるままくるくると回転する丸い偽の空が、カラカラと音を立てる。
 長い髪を風に遊ばせた少女の顔には、明らかに退屈そうな色が浮かんでいる。
 少女が飽きたように、空を見上げた。
 月のない夜空は、どこまでも高い。雲一つ浮かんでいないそこには、全天を覆う星々の瞬きがある。
 けれど、少女の表情は晴れない。柳眉を不機嫌に潜めたまま、つまらなさそうに流れ星を眺める。
 ふと、少女が背後を振り返った。なびく髪を押さえ、じっと耳をすます。視線の先は、塔を取り巻く形に備え付けられた階下への昇降階段だ。
 こつこつと規則正しい音が、石壁に反響しながら昇ってくる。誰かがこの物見櫓に近づいているのだ。
 少女の顔が綻んだ。唇を結んでも補をの内側をかみしめても抑えきれない期待に、少女の笑みが見る間に深くなっていく。
 塔の外側を巻いて近づく足音は、すぐそこまできている。
 その笑みを隠すように、少女は机に向き直る。白い手が再度天球儀に伸ばされた。
 カラン。カララララ――。
 彼女の心を表すように、軽快な音はだんだんと速度を増していく。
 ぼんやりとした光が、昇降口を照らす。
「遅いわよ、博士!」
 振り向かないまま、まだ姿を見せない相手に向かって、少女は言葉を投げた。
 足音が一瞬乱れ、それから少し焦ったように最後の数歩が刻まれた。
「遅刻よ遅刻! この私を待たせるなんて、信じられないわ」
 ほんのわずかも怒りの窺えない声で、振り向いた少女が言った。
 足音の主は、階段を昇りきったところで立ち止まった。手に提げたランプの明かりで、ようやく塔の中が明るくなる。
「申し訳ございません。ですが殿下、言葉は正しくお使いください。私が遅れたのではなく、殿下が早くお着きになっただけですよ」
 少女の視線の先で、若い男がランプを持った青年が言った。足下まで覆う黒い長衣と、同じく闇に沈む長髪を後ろで一つに束ねた姿は、なるほど博士と呼ばれるにふさわしい雰囲気を纏っている。
「何よ、私を待たせた上に言い訳までする気?」
「いいえ、事実を述べたまでですよ。ほら、ごらんください、北の三番星がまだあんなに高い。殿下とお約束した時間までまだ十分な間があるということです」
 殿下と呼ばれた少女は、唇を尖らせた。それに、青年がたたみかける。
「そもそも殿下、私の記憶が確かならば、この時間はまだ語学の講義を受けていらっしゃるはずたど存じますが。朝方教授にご挨拶させていただきました折り、中止になさるというお話は伺っておりませんよ。連絡の行き違いでなければ、殿下、また教授の講義を抜け出したのですね?」
 堅苦しい外見そのままの口調で断言され、少女は行儀悪く舌をつきだして見せた。
「だって面白くないんだもの。もう少し実用的ならまだマシだけど、毎日毎日百年も昔に滅んだ古代語の文法を繰り返される私の身にもなってよ。どごか語学よ。あんな言葉で話す人なんて、もういないじゃない」
「それを言うなら、私の講義もおよそ実用的とも現代的とも言えませんがね。天文学は、先人たちの英知を読み解く学問でもありますからね。あなたの嫌いな古代語は必須ですよ。それから――」
 言いながら、若き天文博士は少女を見た。
「この寒空に、防寒着一枚羽織らずにいらっしゃるのは、私にとっても迷惑です。あなたが風邪を引いたら、私が叱られるのですからね」
「そこは、私の責任です、って言ったら――」
 顎をあげて睨み返すはずの少女の言葉が不自然に途切れる。ぶるりと肩を震わせた少女の唇から、くしゃみがこぼれた。
「ほら、ごらんなさい。せめてもう少し考えてから行動する癖をつけてください」
「もう――爺やみたいな――こと、ばっかり――ああもう!」
 くしゃみは止まらず、少女の文句は威厳の欠片もなく切れ切れになる。癇癪を起こすにも、体裁が悪すぎた。
 顔をしかめ、後ろを向いて鼻をすする少女に、青年は一つため息をついた。ランプを机に置き、おもむろに自分の上着を脱ぐ。
「言わせているのはあなたですよ」
 黒い長衣が翻って、少女を覆う。頭の先まで包み込んでまだ余裕がある布地に包まれた少女は、どうやら悲鳴をあげたらしい。
「もう、いらないってば!」
 羽織るというよりは埋もれるという方が正しい長衣の端から顔を出した少女の怒鳴り声を、青年は肩を一つ竦めるだけで受け流した。
「風邪を引くのは殿下の自業自得です、と申し上げるには、私は自分の身がかわいいのですよ。王女様に熱でも出されたら、私の頭は体と分かれなくてはならないかもしれませんからね」
「――そんな言い方って、卑怯だと思うわ……」
「卑怯も何も。あなたの行動一つで生死が決まる臣下は、それこそ星の数ほどいるのです。ご自覚のない殿下に分かっていただくためには、はっきりと言葉にするのが一番でしょう」
 そう、彼女は王女だ。現国王の一人娘であり、第一位の、そして実質的には唯一の王位継承者だ。
「あーあ、王座とはすなわち牢獄なり、って言った人居たわよね。諸手をあげて同意したい気分よ」
「私は囚人に仕えるのはごめんなのですが」
 わざと身悶えして呟いた愚痴を真っ向から切り捨てられ、王女は苦い顔をした。私のことを何だと思っているのと言う言葉は、喉奥で無理矢理に押しつぶす。言ったら最後、教育係も白旗を揚げるだろう嫌み混じりの説教が帰ってくることは分かりきっている。
「ああもう、私が悪かったわよ! 次から気をつけるわ」
 いまだかつて勝ちを納めたことのない相手との言い合いの分の悪さを遅まきながら悟った少女は、降参の合図を送る。
 肩をすくめて合図を受け取った青年は、女王から視線を外し、小さな机に向き直った。抱えていた分厚い書物をランプの横に置き、見当違いな方向を示している天球儀を正しい位置にあわせていく。
 黒い長衣に埋もれたままその様子を眺めていた少女は、ふと口元に笑みを浮かべた。
「ねえ博士。星占いできるんだってね?」
「――私はしがない天体学者ですが」
 視線は天球儀に落としたまま、青年が応える。けれどその言葉にわずかばかりの動揺が混じったのを、王女は聞き逃さなかった。
「隠したって知ってるわ。だって私、星を見るのに水盤なんて使った記憶ないもの。それ、星占いに使うものでしょ。あなたの部屋にも同じものがあったわよね」
「部屋の主に無断で部屋を漁ったのですか」
「あら、人聞きの悪い。部屋を訪ねた時にたまたま見つけただけよ。鍵はかかっていなかったし、あなたの部屋、本棚に埋め尽くされててちょっと覗いたくらいじゃ留守かどうか分からないんだもの」
「あなたという方は――」
 青年は苦い息を吐いた。
「いいじゃないの、隠さなくたって。やり方教えてなんて我儘言わないから、一回占ってよ」
「殿下。私は暦の講義に来たはずなんですがね」
「いいじゃないの。ねぇってば」
 眉間の皺を深くした臣下に、未来の女王は笑顔で小首を傾げる。睨みあいにも似た沈黙に破れたのは、黒衣の青年だった。
「仕方ありませんね。一度きりですよ、一度きり」
「やった!」
「そもそも星占いは、私の個人的な趣味です。結果は期待しないでくださいね」
 手をたたく王女相手に肩をすくめた天体博士は、天球儀の代わりに水盤を引きよせ、水差しの中身を空けた。
「すみません、明かりを」
「ん」
 女王は机の上のランプを引きよせ、燈心を絞った。光源が消え、塔の内側が病みに沈む。
 けれど幾度か瞬きを繰り返せば、すぐに目は慣れる。空には無数の星が輝いている。
 ゆらりと揺れた水面が落ち着き、満天の星がそこに映り込んだ。
 王女は、ランプの代わりに引きよせた天球儀を手慰みに弄びながら、男の手元を興味深げに覗きこんでいる。
 青白い暗さの中で、博士の手は微塵も迷うことなく準備を整えていく。
 男にしては細い指がカチカチと水盤を回すたび、どういう仕組みか水盤に映る星の光が変化していく。
「さて、何を占いますか?」
 操作音をいったん止めた男が、ちらりと少女に視線を向ける。
「うーん、恋占い?」
 小首を傾げた少女に向けられた視線が一瞬止まった。
「何ですかその曖昧な回答は。もっと具体的にお願いしますよ。相性占いですか、それとも相手探しですか? それによってやり方が全く違ってくるんですよ」
「えー、そうなの? めんどくさいのねー」
「なら止めますか?」
 唇を尖らせて首を振る女王に、天文博士はこれみよがしなため息をつく。
「とりあえず、占う対象はあなたでよろしいんですね?」
「うーん、まあそんな感じ?」
「ふざけるなら本当に止めましょうか」
「ごめんってば」
 男の機嫌が急降下するのを感じとってか、女王はあっさりと謝った。それから、長い外套をどうにか引きずって、塔の端まで歩いていく。下から吹き上げてくる風に長い髪を嬲らせるに任せ、石壁の上に頬杖をついた。占いの手元を見ないという礼儀は弁えている。
「もう一度お伺いしますよ。何を占いますか?」
「私の未来。――ある人が、私の未来にずっと関わっていてくれるかどうか」
「それはまた――」
 やっかいな、と言ったのか、それとも酔狂な、とでも言ったのか、どちらにしろ好意的ではないだろう男の感想は、高く低く唸る風にかき消されて王女の耳には届かなかった。
「その方は、身近な方ですか?」
「うん、まあ、身近ではあるわね」
「それも曖昧ですか……。お名前やら生まれ年やらをお伺いできれば、話は早いのですけれど、無理なのでしょう?」
「駄目よ、それじゃ面白くないわ。あなたでなくてもその辺の辻占を捕まえればよくなっちゃう。天文博士のあなたが占うっていうから価値があるのに。――まあ。聞かれても答えられないけどね、誕生日なんて知らないもの」
「まったく、酔狂なのはあなたですよ。それだけの情報で私にどうしろと言うんですか」
 苦情を申し立てながらも、青年は指を動かした。カチリ、と音がして水盤が回る。
「年齢はあなたより上ですね?」
「うん、上。たぶん十歳くらいは上だと思うんだけど」
 カチリ、カチリ。
 水盤が不規則に回る。
「ところで、その方を未来の女王の伴侶にとお考えですか?」
「あー、それは相手に聞かなきゃ分からないでしょ」
「何を仰る。女王陛下のご下命に逆らうものがあるとでも? 王座につくのはあなただ。あなたに連なる王位継承者が誕生すれば、夫は文字通りの飾りでも全く構わないでしょうよ」
 王位継承権を持つどころか、親族を探しても彼女の夫のなるべき年齢の男が存在しない状況で、王家のの血を絶やさないことこそが最大の目的だと言われている結婚。だからこそ、王女の意思一つで決まるとさえ言われている。
「だからそれが嫌なんだってば!」
「それにしても、あなたのお心に適う相手がいらっしゃったとは、意外でしたがね」
 どんな正式な場でも夫候補の存在を仄めかされるだけでだけで不機嫌になる女王を知っている分、男の声にはからかいの中にも驚きが含まれている。
「何よそれ。私だって年頃なのよ。恋の一つや二つしたっていいじゃないの。というか、下手に言うと爺やとか父様とかが大騒ぎするんだもの」
 放っといてくれたらいいのに、と少女は唇を尖らせる。
「仕方ないですよ、あなたは女王を約束された方ですから」
 笑いを含んだ声で答えつつ、男は水盤を回した。最後の歯車が噛みあう。
「どう?」
 勢い込んで問いかける少女を、男は片手をあげて制す。水盤を見つめる視線はどこまでも真剣だ。
「そうですね――。そのお相手は、あなたと関わりのある方なんですよね? でも、遠い。身分が違うか、物理的な距離か。どちらにしろ今のあなたと親しいという訳ではない」
「まあ、そぉね」
 わずかに唇を尖らせるようにして、少女は水盤に視線を落とす男の顔を見つめる。
「この先、縁が強まるかどうかはあなた次第のようですよ。あなたが手放せば縁はきれますし、あなたが諦めなければ、もしかしたら縁が絆に変わる、かもしれません」
「そっか――」
 王女の顔に、笑みが浮かぶ。
「もう少し情報があればもっと詳しいことも分かるかもしれませんが、これが限度です」
「うん、分かった。充分だから、ありがと」
 水盤を片付け始めた男の背に、女王は視線を送る。その唇が、声なく動いた。

 ――逃がさないから。いつかあなたに、好きだって伝えるんだから。

 声なく呟かれた宣言は、もちろん相手には届かない。
 彼女も届けるつもりはなかった。まだ、今は。

「さあ、いい加減講義を始めますよ」
「はぁーい」
 男の声に、王女は恋心をきれいに隠して頷いた。


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