傷口を舐める

 無口無表情無愛想の三拍子揃った美人に与えられる称号が『鉄の女』というのは、少しばかりありきたりだろうか。
 僕は、その鉄の女と一緒に廊下を歩いている。日直の僕は、回収したプリント運びの手伝いを仰せつかったのだ。物理的に一人で運べない量でなければ、きっとお呼びはかからなかっただろうが。
 三歩前を歩く彼女の長い黒髪が、その性格を体現するかのように規則正しく揺れている。従者のように後ろを行く僕を、すれ違う同級生たちが驚いたように、そして半ば同情の籠もった視線で見送ってくれた。
 息をのむほどの美人のくせに、極度の無表情のおかげでか、彼女は入学三日目にして孤高のポジションを獲得している。その彼女と同道する人間という者自体が珍しいのだ。
 プリントの山の届け先は、隣の校舎の最上階つきあたり。理科系の実験教室ばかりを集めた階にある、物理課準備室だ。
 渡り廊下を渡りきったところで、折からの強風が突風に変わった。ドアを閉めるのが一瞬間に合わず、滑り込んだ風が廊下で渦巻く。
 彼女の髪が、スカートが揺れる。抱えたプリントの端がはためく。
 直後、鉄壁のはずの彼女が崩れた。
「痛っ!」
 紙束を押さえる表紙に、指先を切ったらしい。左手の人差し指の腹でぷくりと盛り上がる赤い滴。彼女はそれを、赤い舌で舐めとった。
 誰もが一度は経験のある、なんのことない仕草。けれど、いつもまっすぐに前を見つめる無表情ばかりの印象の中で、それは驚くほど鮮やかだった。いや、目を奪われるほどの色気にあふれていた。
「……どうか、した?」
 振り向いた彼女が問う。
 それほど、僕は不自然に彼女を凝視していたらしい。慌てて頭を振る。
 意味もなく動かした指先が、制服のポケットに触れる。薄くて硬い感触は、通学途中に配っていた、宣伝用の携帯絆創膏。ちょうどよすぎるそれを、さも当然とばかりに差し出してみた。
「怪我、これ良かったら使って。指先だから気になるだろうし」
 彼女の瞳が大きくなる。僕は、鉄面皮を崩すという偉業を達成したらしい。救急キット常備の男子生徒など、学校中探しても僕一人だろうから。
「……ありがと」
 ヘンなカエルの絵柄が全面にプリントされた絆創膏を、彼女は、細い指に巻きつける。
 右から左から自分の指を眺めて、彼女は照れたように笑った。確かに、僕に向かって。

 鉄の女などという呼び名を与えた奴を、僕は問いつめたい。彼女のどこが、無表情なのだ!

 僕は、彼女の笑みに魂を奪われたまま、彼女に付き従って歩き始めた。従者と呼ばれても本望だと、そんな思いを抱きながら。

 
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