Lapin solitaire

 僕は一人でいるのが好きだった。
 僕が一人でいるのが、誰にとっても一番なんだと気付いてから、一人でいることに馴れることにした。嫌いよりは好きになるほうがいいと思ったから。
 
少し長くなるけれど、これから僕の自己紹介をしようと思う。
 僕は、人の身体に動物の耳と尻尾を生やした、キメラタイプとよばれるペットだ。
 人間と同じように話せる分普通の動物たちより少しだけ高価で、少しだけ人気がある、らしい。
 人間たちと同じように話して食べて眠って。でもこどもの姿から成長することはほとんどない、不思議な生き物だ。
 僕は、ウサギの耳と尻尾を持っている。
 けれど、それが人気のある型でないことに僕が気付くのに、そうたいした時間はかからなかった。正確に言えばウサギタイプ自体には人気はあるのだけれど、灰色の、中途半端に垂れ下がったぼさぼさの耳は、自分でもあまり可愛いとはいえない。そうでなくても、僕の髪は見栄えのしないべっとりとした黒色だ。それをくすんだ灰色の大きな耳が覆っているのだから、正直鬱陶しいし陰気な印象が勝ってしまうのだ。
 そういえば、僕が生まれた家でも、みんな僕の耳を見て残念がっていたっけ。もう少し細くて綺麗に垂れていたら、とびきりの高値がつく種類なのに、と。
 僕が“商品”としてお店に並んでからも、微妙な外見はことごとくみんなのため息を呼んだ。
 種類としてはとても人気があるはずだったけれど、僕を確かめたお客さんたちは皆同じ言葉を口にしたんだ。
「この子は可愛くない」
ってさ。

 でも、僕を引き取ってくれる人はいた。どこかのお金持ちの一家だった。
 ありきたりのペットじゃ面白くないからって、僕のヘンな耳を気に入ってくれたんだって。
 少々形は変でも血統書つきに違いはないんだから、すこし手を加えたら見栄えもよくなるだろうって。
 けど、中途半端に逆立ってあっちこっちに跳ねる、量だけは豊富な僕の耳の毛は、どんなに高価な薬を使って手入れしても、ぜんぜん言うことをきかなかったし、カッコイイ形に仕上がることもなかった。
 僕を品評会に出すつもりでいたらしいご主人様は、半年もたたずにさじを投げた。
 とんだ買い物をしたって、よくぼやいてたっけ。
 僕がそこで覚えたのは、大人しくしていることをだった。礼儀作法も教わったけど、あっちこっちにはねたぼさぼさの耳じゃ見栄えなんかしなくて、結局怒鳴られて終わりだったから、それよりもまわりが気にしないでいいようにじっと息を殺しておくことのほうが僕にとっては重要だった。そして、簡単だった。だって関心の薄れたペット相手なんて、何か癇に障ることをしない限り興味は薄れていくものだから。
 一年もたたないうちに、僕は最初にいた店に返された。難癖をつけた返品だった、らしい。ご主人の怒鳴り声は大きすぎて、よく聞き取れなかった。
 出戻ってきた僕みたいなペットは、実はお店にとってはやっかいなお荷物だ。
 戻された、というだけで商品価値はさがる。そうでなくても、生まれてすぐの子供たちに比べたらかなり見劣りする。
 売れのこる要素ばかりが増えた僕みたいなのは、正直邪魔な存在だ。
 僕は、すぐに別の店、今僕が暮らしてる裏通りの店に移された。ここは、前の店よりは価格の安いペットたちを扱ってる店だ。
 でも、僕はやっぱりお荷物だった。出戻りという条件がなくたって、みんなの口から零れる感想も、やっぱり代わり映えしなかった。
「可愛くない」
 いわれなくても自分で分かっている。
 鏡に映るくすんだ灰色の耳は、僕だって嫌いだ。
 だから、僕は前よりもずっと、ずっと大人しくしていることを覚えた。寂しくないように、一人が好きになるように努力した。
 本当はちゃんとお店の前のほうに出てなくちゃいけない決まりだけど、部屋の隅に残っていても店主はもう何もいわない。ほかの子を連れて帰ろうか迷っているお客さんたちが僕をみて、その子に決めるコトだって多いからだ。理由はあえて聞かないけれど、それでだって僕は居場所を確保できたから、結構満足している。 
 ほかの子が寄り付かない部屋の隅は、僕だけの部屋みたいなものだった。小さな子たちがすぐに飽きて放りだしてしまった本を山積みにして、一日を過ごすのが僕の日課だ。少しだけ残念なのは、やんちゃな子たちがぼろぼろにした本のほとんどが、お話の最後の部分を失くしてしまっていることだけだ。

 そんな僕の毎日に、少しだけ変化が訪れたのは、ある雨の日だった。
 突然真っ暗になって、雷が鳴って、窓のすぐ外もぼんやりするくらいの雨が降った。 すぐ止むよって誰かがいったけど、いろんな音は怖いし雨宿りの人は入ってくるしで、この春生まれたばかりの子の中には、怖がって泣き出す子もいた。
 ドアが開いて、少し雨音が大きくなった。
 たぶん雨宿りに駆け込んできたんだろう、女の人だった。
 その人は店主に何かいってから、ぐるっとお店を見回した。
 その人とぼんやりそっちを眺めていた僕は目が合って、あれっと思ったときには僕の目の前に来ていた。
「こんにちは?」
 話しかけられるのなんか久しぶりすぎて、とっさに言葉が出てこない。
困って本に視線を落とした僕を怒りもせず、その人はその場にしゃがみこんだ。
「隣、座っていい?」
ほんのちょっと頷いた僕の反応を見逃さず、女の人は本当に言葉どおり僕の隣に座った。そして、散らかったままの破れた絵本を一つ取り上げる。
「うわ、懐かしい」
 そう言ってパラパラと本をめくる。それから終わりの部分がごっそり抜け落ちていることに気付いて、一瞬動きが止まる。
「あら、結構ぼろぼろ」
 それでも懐かしそうに本をめくるのをやめない女の人を、僕はこっそり観察する。じっと見つめて気持ち悪いと思われたらイヤだから、自分の本を読んでる振りをしながら、でも僕の意識は絵本じゃなくてその女の人の動きばかりを追っていた。
 その人はぼろぼろの本を最後までめくってまた前に戻ってと手遊びを繰り返したあと、小さく声に出しながら最初から読み始めた。
 『みにくいあひるのこ』、僕がよく読む本だ。おばあさんのうちを逃げ出したところで途切れてしまって、あのいじめられっこがどうなったか、残念ながらしらないのだけど。
 僕が聞いていることを知っているのか、その人はゆっくりと読みすすめる。それでもすぐに途切れた物語の最後のページがくる。
 けれど、その人は詰まることもなくそのまま続きを“読んだ”。僕はびっくりして、こっそりなんて忘れて女の人を見つめた。
 その人は僕のことなんか気にしてもいない様子で、透明な絵本を読み続ける。
 みにくいアヒルの子は、真っ白な白鳥だった。誰からもいじめられたりしない、立派な白鳥だった。
「ねえ、次は何がいい?」
 あんぐり口をあけた僕の遠慮のない視線を怒りもせずに、その人は言った。僕が聞いていたことはわかっていたらしい。
「とりあえず、雨がやむまで朗読会。リクエストあったらきくよ?」
 にこりと、というよりは悪戯をたくらむような笑みを浮かべたその人が、なんのためらいもなく左手を差し出した。
「どれがいい?」
 ほれ、とばかりに手のひらが上下する。顔色を窺う僕の視線と、何もかもを見通したようなその人の視線がぶつかった。
「遠慮してると、損するよ?」
「え……」
 やっぱりにやりと、というのが正しい笑みを浮かべたまま、彼女は言った。さすがに聞き返そうとした僕の目の前で、白い手がちょいちょいと上下する。
「ほら早く」
 せかされて、僕は慌てて持っていた本をその手の上に置いた。
「これでいいの?」
 女の人は僕の表情を確認してから、また絵本を読み始めた。

 雨は相変わらず降っていて、雷の音はだんだん近づいてくる。
 帰るに帰れなくなったお客さんたちのいるお店の隅っこで、朗読会はこっそり続く。
シンデレラの最後は初めて聞いたし、親指姫が幸せに暮らしたこともやっとわかって嬉しかった。
 僕の位置は女の人の隣から膝の上に移動していた。正確には、胡坐をかいた足の間。
 読み手の邪魔をせずに絵をみるのにははこれが一番いいとはいえ、僕は正直緊張していた。なるべく身体を小さくして体重をかけないように気をつけた。
 なのに気付けば僕は彼女にすっぽりと包まれていた。両手で本を持って少しのけぞるように。僕の背中はちょうど具合よく胸元にもたれかかっている。
 逆に彼女はすこし背を丸め、僕の頭、垂れた両耳の間にに軽く顎をのせて本を覗き込んでいた。
 ページをめくる必要のなくなった両手はというと、ゆっくりと僕の両耳をなでて続けていた。何を気に入ったのか分からないけれど、本を読みすすめるのと同じテンポで、だ。
 正直耳に触られることは、厭だった。
 なのに、当たり前のように撫でられるその暖かさは不快などではなく、泣きたくなるような幸福感をもたらしてくれた。でなければ、大人しく腕の中に収まってはいられないはずだ。
 ページの切れたお話を読みすすめながら、彼女はゆらゆらと身体を揺する。膝に抱えられている僕も、同じように揺れる。
 柔らかい声と暖かい感触と、それから心地よい適度な振動。これで眠くならないほうが無理だ。昼寝が必要なはずではなかったけれど、どれだけ目を瞬いても眠気は覚めない。
 絵本から片方ずつ手を離して、目元を擦る。子供っぽい動作に、頭の上で女の人が笑った。
「ありゃ、眠くなっちゃったか。このまま寝ていいよ、まだ雨上がらないし」
 彼女の顎が上がり、片手が耳から頭に移動した。そのまま同じ感触で撫でられる。
 寝てしまうのは申し訳なくて何度も目を擦ったけれど、眠気には勝てなかった。
 お休み、という声が聞き取れたあたりで、僕はあっさりと眠ってしまった。
 このままでお別れなのかもしれないのが寂しかったけれど、とても楽しい夢だと思えばいいと思いながら。


 お昼寝というには少し遅い時間の予定外の睡眠は、ほんの一時間程度で終わった。目が覚めると雨はやんでいるようで、夕暮れの窓の向こうはまだほんのり明るい。
「お、起きた」
 驚いた。
 僕はまだ、女の人に抱っこされたままだった。
「おはよー、ところでさ、ちょっと相談があるんだけど」
 眠気の残りと格闘してる僕に、彼女は小さく笑って話しかけた。
「キミ、あったかくて抱き心地いいんだよねー。耳なんか特にふわふわだし。せっかくだからこのままうちに来ない? 実はちょーっと遠出して寄り道した店だったからさ、次に準備して迎えに来るの、時間かかるんだ」
 どお? と軽く、本当にあっけらかんと提案された内容を、普段の僕ならちゃんと聞き取っていたはずだ。それでちゃんと、ほとんど口癖になっていたごめんなさいをいえたはずだ。
 けど、残念なことに、僕の判断能力は眠さに負けていた。まだ目が覚めていなかった。それに、まさか僕を引き取りたいなんて言う人がいるとは思っていなかったのだ。
だから、僕は深く考えもせず頷いてしまった。腕の中は気持ちよくてあったかくて、もう少しこのままでいたかったんだ。
 彼女は嬉しそうに笑った、と思う。向き合う形に抱きなおされ、赤ちゃんをあやすようにポンポンと背中を叩かれた僕は、あくび一つしてそのまま眠ってしまったから。


 僕にとってはだまし討ちみたいな形で始まった新しい生活は、予想をいろんな意味で裏切ってくれた。ううん、今も裏切られっぱなしだ。
 ちなみに、だまし討ちというのは張本人が認めてるから間違いない。普通にしていたらうんと言わないだろうと思ったから、寝起きを狙ったんだそうだ。まんまとひっかかった僕に文句を言う筋合いはないかもしれないけど、それってちょっと卑怯だとは思う。
 嬉しいことに一度も怒鳴られたことはないし、僕のぼさぼさの耳は本当に彼女のお気に入りらしい。飽きもせず、手が空いたらずっと、という感じで僕の耳は撫でられ続けている。ちょっとくすぐったいのもいい加減慣れた。一番変わったなと思うのは、灰色の耳があんまり嫌いではなくなったこと。持ち主以上に気に入ってくれている相手がいるのに、とうの僕が大嫌いのままだと、なんとなく立場がない。そもそも積極的に嫌いになりたいわけではなかったし、気持ちの変化は甘んじて受け入れるべきだろう。
 そうそう、一つショックだったことがある。
 彼女が読み聞かせてくれた絵本の内容、結構な頻度で捏造部分があったんだ。
 何も見ずにいきなり絵本の続きを正しく読めといわれたらそれは困るだろうけど。
 堂々とした読みっぷりに違和感を感じなかったせいで、初めて自分で最後まで絵本を読んで違いを知ったときは正直びっくりした。
 彼女に聞いたらあっけらかんと、「うん、個人的に気に入らない内容のところは変えちゃった」ときた。一度聞いただけのあの日の話と本当のお話と、どちらが好きかと聞かれたら前者だと即答するだろう僕に文句を言う筋合いはないけれど。
 
 ちょっと長くなってしまったけど、これが僕の自己紹介。
 そうだ、もし出来ることなら一年前の僕に誰か教えてくれないかな。
 大丈夫、もう少ししたら凄く幸せになれるからって。


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