らぶ・れたー

「うっわ、ヤベ!」
 悲鳴に重なるようにして、紙の束が床を滑る音がした。
「悪い、副委員長! 俺用事があったんだ。それ片付けて戸締りしといて!」
 風紀委員室のドアを開けたとたん、その横を風が通り過ぎていった。
 西本加世子は反射的にドアに身体を貼り付けながら振り返る。
「委員長?!」
「ノンブルあるからその順な――!!」
 けれどその視界にかろうじて捉えることが出来たのは、廊下を曲がっていく背中だけだった。
「廊下を走っちゃダメですってば……!」
 取り残された加世子は、力なくため息をついてから部屋の中を覗き込んだ。始業前に片付けておいたはずの長机の上は荷物で埋め尽くされ、床には一面書類が広がっている。「風紀委員室」とは名ばかりの有様に、加世子はがくりと肩を落とした。

 風紀委員長・花岡大輔は、槙ヶ峰高校歴代の委員とは全てが異なる存在と言えた。
 一年生にして委員長は立候補、『風紀とはもっと楽しくあるべきだ』をスローガンに積極的な選挙戦を繰り広げ、教師陣の押した先輩の現職を圧倒的な差で打ち破った。白熱した選挙戦はすでに半ば伝説だ。
 もっとも票を投じた生徒のの何割かは面白さを優先していたし、選挙公約に掲げていた風紀と校則の見直しなどといった内容を実際に期待していた生徒はごく僅かだっただろう。
 けれど当選を果たした彼は、約束どおり「改革」を始めた。
 校則は厳しいものの、生徒の自治にある程度はゆだねるべきだという創始者の言葉を味方につけ、その上、お祭り男と異名をとる現生徒会長の全面的なバックアップを得られた彼の勢いは止まらなかった。
 例えば、黒一色の没個性的だった通学鞄は、今や半数以上の女子と数パーセントの男子の間でのデコレーション合戦の主戦場と化している。
 たしかそのときのスローガンは「きちんと指定鞄を使っているのに、少々飾りつけをする自由もないのか」だったろうか。
 2年に進級しほとんど満票を得て再当選を果たしたた風紀委員長二期目の今は、来たるバレンタインデーを一日だけチョコ持参OKの日にしようと奮闘中だ。
 一方加世子はといえば、まだ一年生であるにもかかわらず教師陣の厚い推薦を受けた風紀副委員長なのだが、抑止力と期待されているはずの委員長の暴走に対しては、ブレーキの部品にすらなれていないのが実情だ。
 彼女は決して大人しい方ではないし、物怖じするほうでもない。けれど、暴風と称される大輔の行動力と、その原動力たる一種奇抜な発想は、加世子の理解の及ぶ範疇を軽く超えていた。
 その上あからさまな対抗人事であるはずの彼女を、大輔はいたく気に入ったらしい。選挙活動中から「是非我が片腕に!」などと積極的な後援を明らかにして大人たちの目論見を水泡に帰したのもその一例だろうか。
 委員としての活動を始めてからも、大輔は何かと加世子を頼った。新しい政策を打つ出す前には必ず彼女を相談相手にするのだ。もちろん加世子が荒唐無稽な改革案を支持するわけもない。委員内会議の段階で徹底的に疑問点は追及する。けれど、それは彼が生徒会執行部相手に、そして教師陣相手に熱弁を振るうまでにはきちんと裏づけがとられ、対策が講じられた、見事なまでに穴のない案を作り出す手助けにしかならなかった。
「俺が思いつきで言い出した案てのはさ、それはもう穴らだけで目も当てられないようなものなわけよ。先生たちの前にでたら風船より簡単に破裂しちゃうくらいの大穴。むしろ膨らみようがないって感じなのさ。その大穴をさ、副委員長が全部指摘してくれるわけよ。こことそこが矛盾してる、あっちとこっちで整合性がとれてないって」
 ある月の学校新聞のインタビューに答えて、彼は言った。
「俺さ、ほんとにそういうとこ気付かなくて。もう、いいと思ったら理由は後からついてくる! ってのがモットーなくらいだし。でもそれじゃ改革案なんて通らない。そこへいくとさ、副委員長の指摘って完璧なの。おかしなところに見落としがないわけよ。副委員長が指摘してくれた部分がクリアでてきるなら絶対大丈夫、ってさ、俺自信持って言えるもん。それで通った案もかなりあるんだ。ホント、感謝してます」
 ストッパーないし反対勢力として張り合うには、相手が強大すぎたらしい。教師陣も今では、最強の組み合わせを作ってしまったと半ば諦め顔だ。
 片腕とまで言われたそんな彼女の日常の仕事はといえば、だが、恐ろしく地味なものだった。朝に夕にと大輔が散らかしまくった委員長室を、人が入れるように片付けることだ。使いやすいように、などという一般的なレベルではない。文字どおり、部屋に入るために片付けるのだ。
 何しろ落とす崩す倒すは日常茶飯事、壊すことはないだけマシなのだろうが、ものを散らかすことにかけての才能も、風紀委員長は群を抜いていた。
 暴風と称される彼の能力は、日常生活にいたっても有効なのだ。
 どこをどうすれば、と誰もが首を傾げるほどに、彼が移動した後は散らかっている。机の上の荷物が雪崩を起こし委員室の入り口を封鎖した回数は、すでに数え切れない。
 けれど、加世子がこわごわと覗き込んだ今日の部屋は、その基準をでいくならば、奇跡のように無事だった。
 机の上に溢れているのは山のような色封筒。大きさ順に角をそろえてなどといわないから、せめて重ねて置くだけでもかなり印象が違うだろうに、彼がその一手間をかけたためしはない。すべてをばらばらに広げるほうが加世子としては難しいのだけれど。
 それでも、封筒はその氾濫を机の上だけにとどめ、床を占領している書類も一種類だけであるらしい。部屋から出て行く際に誤って落としたのだろうが、加世子が口も手もだせない間に引き起こされた状況としては、これまでで一番“整頓された”部類に入るかもしれない。
 乱雑に置かれた封筒の手前の一つを見れば、同県の高校の名前が目にとまる。先日なにやら書類を郵送していたが、それに絡んだものだろうか。
 加世子は、入り口から吹き込む風に吹かれてひらひらと踊っている白い紙を1枚拾い上げた。右下に印刷の「8」、不思議なのはその横に鉛筆書きされた「さ」の文字だ。
「え……っと、ノンブル……? て、ページナンバーのことでいいのよね?」
 かな文字の意味は分からないまま、加世子は散らばった紙を拾い集めた。
「どうせなら、総ページ数も書いてくれてたらいいのに」
 椅子の下や備え付けの書類棚の下にまでもぐりこんでいたのをあわせ、拾いあつめたのは全部で60枚。
 総枚数が分からないから断言はできないが、60枚目の下半分は白紙だから、おそらく拾い漏れはない――はずだ。
それに、ひらがなの意味は良く分からない。8が「さ」で59が「す」では、ヒントもなしに暗号を解くのは無理な話だ。
 肩をすくめてから、加世子は紙を並べかえはじめる。一つ入れ替えては端をそろえ、次を抜いては角を合わせる。最後にまとめて整頓、とは行かないのが、彼女の性格だった。
「『バレンタインおよびホワイトデーイベントに関わる取組状況について』――なにこれ」 
 表紙に踊る形だけは厳しい文字列に、加世子の眉間の皺が深さを増す。なにこれ、とは言ったものの、その意図するところは明確だ。
 我が風紀委員長は今年掲げた目標を実行に移すべく、まずは周辺高校のの状況調査を行ったらしい。山のような封書の中身がすべてこの手の資料だと思うと、加世子は頭が痛くなった。どこの学校も、やることは結局一緒なのだろうか。
 パラ、とページをくれば、60枚になんなんとする調査書は律儀にも目次つきだった。それでも、ページナンバーを入れるならば表紙と目次は除外するほうがいいいのでは――と、加世子の表情は厳しい。
 それにしても2の数字の横にある『し』の文字は、やはり大輔が書き加えたものだろうか。
 せっかく暗号を残したのに解いてもくれなかった、と盛大に拗ねるのが目に見えるようで、紙の並びを確認するついでに仕方なく文字を追った加世子は、次第に大きく目を見開いていった。
 60枚に一文字ずつ、並べられた暗号。

『にしもとかよこさまごごよじにさんちょうめのこうえんでまっていますきょひけんはないのでそこのところよろしくはなおかだいすけ』

『西本加世子様 午後4時に3丁目の公園で待っています 拒否権はないのでそこのところよろしく 花岡大輔』

 浮かび上がった傍若無人なメッセージと、3時45分を指す時計の針とを交互に見つめ、加世子は深々とため息をついた。


 その年の槙ヶ峰高校におけるバレンタイン企画は、盛況のうちに幕を閉じた。
 近隣どころか県内全域の高校に行った事前調査を踏まえた企画は、なんとかして穴を見つけようという教師陣の努力を片端から跳ね除ける程度には完璧なものだった。
 その上イベント実現と引き換えに生徒たちが自主的に課した禁止項目は、実行委員長たる花岡大輔の音頭のもと、徹底して遵守された。
 羽目を外すイベントで、何一つ騒ぎが持ち上がらなかった結果、教師たちは「問題があるから来年以降は不可」という最後の砦すら失うこととなった。
 もう一つ教師陣を落胆させたのは、暴走委員長のストッパーたる加世子が、この案件に対しては全くといっていいほど反対しなかったことだった。勝てはしないにしろ大人しく全面降伏はしない、そう思われていたはずの彼女が、始終楽しそうな表情で委員長の言に従うなど、予想の範疇外だったのだ。
 
 教師たちは知らない。
 先回りを得意とする花岡大輔の魔の手が、ついに加世子にまで及んだことを。
 わざわざ書類に暗号もどきを残すような回りくどい方向に労力を割いたわりに、「君が好きです、付き合ってください。もしOKなら、バレンタインにチョコ下さい」などと、今時お目にかかれないような直球で勝負を挑んだ大輔に対し、加世子があっさりと頷いてしまったことを。
 そもそも、大輔がバレンタイン企画を立ち上げた理由が、加世子に告白するための舞台づくりだったことを
 その企画が功を奏したのか、バレンタイン企画当日の彼女が手作りの本命チョコを持参し、委員長に手渡したことを。
 そして、教師陣にとっては非常に残念なことに、チョコゲットに浮かれまくり、だれかれかまわず幸せを吹聴して歩く彼氏ののろけを止めるどころか、「委員長はいろいろ危なっかしいから放っておけないの。私がしっかりしなきゃね」と、決意を新たにした暴風第二号が誕生したことを。


最強タッグとなった風紀委員二人を中心に、それから一年の間改革の嵐が吹き荒れることになるのは、予定された未来である。
 



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