背中越しの世界

 康介は佑香を連れて歩いていた。
 否、酔っ払い女王と化した彼女の呼び出しを受けて、宴会場まで迎えに行った帰りだ。
 ちなみに佑香は、康介の彼女などではない。
 生まれてからこの方、彼女との関係は幼馴染の腐れ縁というものから変化したことはない。
 そのただの幼馴染を、近所のよしみを理由にわざわざ迎えに行ってやる男がどれくらいいるだろうか。
 自分自身、そのお人よしさ加減がつくづく厭になる。
「なあ、お前さ、今日は好きな先輩にアプローチするとか言ってなかったか? なんでそんな醜態さらしてんの」
 前を行く佑香の背に、そう問いかけてみる。
 佑香は、ステップを踏むようにしてくるりと回転してみせた。
 身軽な動きは、荷物をすべて康介が持っているからこそなせる技だ。もちろん優しさからではなく、タチの悪い酔っ払いが手当たり次第放り出したのを回収した結果でしかない。
 すごく高かったのだと自慢していたハイヒールだけは、歩きにくいと言って脱ごうとするのを止めておいた。酔っ払いとはいえ、若い女がはだしで夜道を歩くのはさすがに勘弁してほしい。
 気に入っているはずのスカートはあちこち皺だらけで、きっと彼女は明日地獄の底に降り立ったようにへこんでいることだろう。
 それでも今の佑香は、酒の力かひどくご機嫌に答えてくれた。
「だってさー、何か疲れちゃって。可愛くして気に入ってもらおうって頑張るのが、バカみたいって思っちゃったんだよねー。というか、それあたしじゃないし」
「お前に猫なんて被れるわけねえし。挙句に酔い潰れて男呼び出してるし。相手の男、完っ全に引いたな。てか、俺なら引く」
「だってさー。どうせなら惚れさせたいじゃん、女として」
「だからって、元々できねープラン立ててどーすんだよ。お前社会人何年目だ」
 右に左に蛇行した揚句、佑香は道端にある花壇の端に座り込んだ。康介はため息一つで背中を差し出す。佑香はきゃあと歓声をあげてそれに負ぶさった。
「俺相手で取り繕ったことないくせに」
「えー、こーちゃん相手に? 今更何やったって今更記憶書き変わんないじゃん」
 佑香は、両足をぷらぷらさせて笑った。康介は一向に安定しない背中の荷物を少し手荒に揺すり上げる。
「でも、こーちゃんなら楽だろうなあ」
「なら、いい加減俺相手で満足しないか?」
「なにソレ、あたしに妥協しろってのー?」
「妥協でいいから。一辺俺んとこ落ちてこい」
「でも、あたし可愛くないよー?」
「二十年お前のこと見てんだ。そうそう揺るがねえよ」
 佑香は康介の背中に右頬を押しつける。
 背中越しに、うふふ、とこもった笑い声が立つ。
「じゃあ、そうしよっかなー。こーちゃんが彼氏って、なんか変な感じだけど。とりあえずよろしくねー」
 幼馴染の告白の真剣さを分かっているのかどうか、酔っ払いの佑香は突然空を見上げて歓声をあげた。
「ねえ、お月様があんなに丸くてキレイだよー。こーちゃんの背中で見るのって、特別な景色だねー」
 呑気な言葉が康介を真っ赤にさせていることなど、本人はもちろん知りもしなかった。

 
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