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「やあ、こんにちは! 見ない顔だね!」
 小さな街の入り口で、フィリップは目の前を通る男に声をかけた。
「あんた、旅人だね」
 大きな荷物と、地面に半ば引きずった大剣によろけながら、男は小刻みに頷いた。
「すまない、どこか、どこか休める処はないか?」
「それなら、そこの椅子使ったらいい。うちの店だから遠慮はいらない」
 男は礼を言うや否や、軒先の腰掛けに座り込んだ。それはフィリップが店番に使う椅子だったのだが、彼は文句も言わず奥に引っ込んだ。
「はい、水」
「ありがとう」
 旅人はひったくるようにコップを受け取り、一息に飲み干す。
 ほう、と息をついた男の視線が、フィリップの背後をさまよった。棚には、甘い芳香に満ちた果物が並んでいる。さすがに売り物をすすめることはせず、フィリップは笑顔のまま男を眺めた。
 疲れはてた旅人というものは、彼にとってめずらしいものではないからだ。
「生き返ったよ。ところで……」
 未練を断ち切るように視線を落とした男は、わずかに言い淀んでフィリップを見た。
「ええとね、腹ごしらえしたいなら、そこの角を右に曲がって3つめ。オリばあちゃんの定食屋。安いし、味はそれなり。何より量がある。宿なら、このまままっすぐ行けば宿屋街だ。で、荷物の方をなんとかしたいなら、この5軒向こうに雑貨屋、薬屋がその向かい。傷薬とか腹痛止め位しかないけどね。武器は、リシャールの親父さんのところが評判だね」
「あんた……」
 立て板に水、という言葉がまさに担う勢いに、旅人は目を丸くした。
「あれ、違いました?」
「いや、違わない。俺の欲しい情報は全部教えてもらったよ。けど、どうして」
 フィリップは頭をかいた。
「うちの店は街の入り口だろ。旅の人はだいたい同じようにここにきて、店番している俺に同じことをきくのさ。だからもう、答えるのが癖みたいになっちゃってて」
「なるほど」
 旅人は合点が言ったと頷いた。
「その外見、あんたも、狩人さんだろうからさ」
 フィリップが大剣を指させば、男は自嘲気味に笑った。
「一応な、一応」

 街を出、整備された街道をはずれた場所で一番危険なのは、凶暴な獣だった。
 野や森に棲む獣は、人を襲うのだ。
 大きな街になれば人の住む場所とそれ以外は隔てられ、比較的安全だ。軍隊のような警備隊が日夜巡回しているようなところもある。
 逆に小さな村では、獣の群に襲われたという凄惨なニュースが新聞をにぎわすことも決して珍しくはない。日照りや長雨の後などは、飢えた獣の去った村は文字通りの全滅か、極力運のいい幾人かが生き残るのみという場合だってある。
 そんな深く暗い森に棲む獣たちは、すこぶる危険な存在だる反面、ひどく金になる生き物でもあった。
 何しろ獣の肉は、どれだけ手をかけた家畜のそれより格段に美味いのだ。毛皮は、どんな糸を紡ぐよりもきめ細かく暖かいのだ。
 貪欲という意味では獣にも勝る人間たちは、逆に獣を狩り始めた。一度知った味を、手触りを、忘れられないがために。
 もちろん、簡単な狩りではない。一頭をしとめるために数えきれない程の狩人が死ぬことだってある。
 先も、百人からの集団で行われたはずの狩りが、逆に獣の巣に誘い込まれ、たった一晩で喰い殺されてしまった。
 それでも人は、危険な獣をあきらめることをしなかった。
 だからこそ、人の命と引き替えに市場にでる「商品」は、それこそ目の飛び出る高値がつく。一頭とれば生涯遊んで暮らせるだけの金が手に入る。
 だから、狩人となる人間は後をたたない。
 狩りを成功させるためには、相応の武器がいる。防具がいる。食料がいる。薬がいる。体を休める一夜の宿がいる。どこに行けば高く売れるか、どの種の獣がどんな弱点を持っているのか、形のない情報だって有益なものだ。
 狩人が増えるにしたがって、彼らに物資や情報を提供する商売も始まった。
 それはやがてより集まって、街を形成する。
 フィリップが果物屋を営むこの街も、そんな場所の一つだった。

「ここにくるまでに何度か獣の遠吠えをきいたけど、姿を見るなんて一度もなかった。今のままじゃ狩人だなんて言えないよな」
 くたびれた旅人はそういって笑う。
「ゆっくりしていったらいいさ」
 街にたどり着いた狩人はおおむね3種類に分かれる。
 勇んで狩りを続ける合間の、一夜の宿を求める者。
 しばらく腰を据えて装備や情報、頼りになる仲間を捜すもの。
 最後に、命と金とを天秤にかけ、まっとうな人生に返るべきだと気づいた者。
 男は、2番目と3番目のどちらだろうか。
「しばらく腰を落ち着ける気なら、セルジョさんの宿を進めるね。あそこは飯もまあまあだし、値段の方も良心的だ」
「ありがとう、君みたいな人はめずらしいな。情報だって売り物になるだろうに」
「そうかい? これくらいを出し惜しみしても仕方ないだろう」
 旅人は重い腰を上げる気になったらしい。地面に投げ出していた荷物と、おそらくは振り回すのも難しい大剣をとりあげる。
「ああそうだ、さっきからいい匂いがしてるそれをひとつ、いただきたいんだが」
 フィリップは真っ赤に熟れた果物を一つ、恥ずかしげな男に手渡した。
「気をつけて。あんたの頭上に武運がありますように!」
 代金を受け取ったフィリップは、旅人へ決まりの言葉を贈った。



「ねえ。武器屋ってどこ、武器屋!!」
 午後の日差しにうつらうつらとしていたフィリップは、甲高い少女の声に顔をあげた。
 赤茶色の髪に濃紺の瞳、肌は健康的な小麦色に焼けている。
「やあ、こんにちは。見かけない顔だけど、お使いかい?」
 反射的にそう返してから、フィリップはぎょっと目を見張った。子供と見紛うほどの小柄な体型にもかかわらず、彼女が狩人によくある出で立ちをしていたからだ。
「ええと、君、狩人?」
「武器屋、知ってるの、知らないの?」
 少女は気が短いらしい。青い瞳が、苛ただしげにフィリップを見つめている。
「武器ならリシャールのところが有名だけど、あそこは剣が専門みたいなもんなんだ。ええと、君、君が探してるのは剣でいいの?」
「剣かあ、扱いにくいのよね。あたし身体小さいから。大きなのは振り回せないし、小さかったら間合いが取れないし。どっちかっていうと飛び道具のほうがいいんだけど。そうね、弓矢。弓矢がいいな。そっちの専門家がいいわ。知ってる?」
「弓矢、弓矢……」
 少女の顔にどきまきして、フィリップは視線をさまよわせた。
 気のいい情報屋を密かに自負する者として、これくらいの回答が即座にでてこなかったことはない。それなのに、唇をなめても両手をもみしだいても、喉元にある言葉はなかなかでてこなかった。
「ええと、ああ、ノルジー爺さんのところだ。あそこなら弓矢の扱いもある。行き方は、次の大通りを左に行って、教会の裏手を右に折れる。少し先に小さい階段があるからそれを……」
 少女の目がくるくるとまわった。
「……なんなら、案内しようか」
「お願いしたいけど、ね、お店はいいの?」
 一人きりの店内をのぞき込んで、少女は首を傾げた。
「いいさ、店主は僕、店番も僕。店が開くのは僕の気分次第、ってね」
 フィリップは、縁台に並んだ商品を手早く奥に片づけていく。
「どうせなら、ほかの店も案内するよ。そっちで駄目ならノルジーさんのとこ、ってことで。あの人結構偏屈でさ。女の子相手に商売してくれるかどうか……」
「ありがとう、助かる。でもあたし、女の子って呼ばれるの、嫌いなの。フローラよ」
 思わず手に入った少女の名に、フィリップの心臓が知らず跳ね上がった。
「じゃあ、フローラ。ついてきて」
 熱くなった顔を隠すように、フィリップは歩きだした。

「この街、すごいわね」
 2軒の武器屋で首を横に振ったフローラは、それでもしみじみと言った様子でつぶやいた。
「何でもそろってる」
 道すがらに寄った他の店で買ったお目当ての品物に、小女の顔はうれしそうだ。
「あとは弓矢が手に入れば文句ないわ」
「ここはさ。君みたいな狩人たちでもってるようなもんなんだ。ここになら、何でもある。それがウリさ。そりゃ、質で言ったらもっと立派だったり高価だったりのが他にあることはあるよ。でも、とりあえず揃えようと思ったら、揃わないものはない」
 フローラが買った荷物の大半を持ったフィリップ胸を張る。
「それにしても驚いた。狩人ってこんなに荷物をもって旅するのかい?」
「そうよ、だって自分が持っていなきゃ使えないもの。驚いた?」
 これを担いで旅するなんて、フィリップにはとうてい考えつかない。命を張らなくたって、いくらでも稼ぐ方法はあると思っている。けれど、彼はそれを狩人相手に口に出さない賢明さもあわせ持っていた。
「僕は狩人になる勇気なんて持ってないからね。自分の店に並べる商品を畑までとりにいくんだってびくびくしてる有様さ」
 目的地へ続く急な坂道の入り口で、ずり落ちそうな荷物を持ち直しながら、彼は続けた。
「それより、爺さんのところで話がまとまるといいね。紹介したからには、いい結果を聞きたいし。それに、僕が知ってる人が、いつか有名になったらうれしいじゃないか。ちょっと世話しただけでも、わざわざお礼を言いにきてくれる人もいる。そういうのがやりがいっていうのかな」
「ふーん、なるほど」
 フローラは、分かったような分からないような、そんな顔で頷いている。
「ま、あたしとしては、有益な情報がもらえるなら文句は言わないわ」
 息を切らして急な坂を登りきれば、ほったて小屋のような小さな建物が見えてくる。中からは、鉄を打つ音がひっきりなしに聞こえてくる。
「爺さん、いるみたいだね。話がまとまることを祈ってるよ」
「大丈夫、こんなとこで後込みしてちゃ、狩人になんてなれないわ」
 きれいな笑顔を残して、フローラは粗末な扉を引き開けた。
 怒声やら罵声やら、耳にも心臓にもよろしくない音がしばらく響きわたった後、狩人を目指す少女は勝者の笑みを浮かべてフィリップの前に戻ってくることになる。



「いらっしゃいませ! あれ、あんた」
 店先に落ちた人影に、フィリップは懐かしい顔を見た。
「ずいぶん見なかったけど、元気にしてたかい?」
「何とか、命だけは落とさずにいるよ」
 はにかんだように笑う男は、いつかの旅人だった。頬はやせ、苦労が顔を覆っている。
「もう狩人なんてやめようと思ってね。生きちゃいるが、私の腕じゃ商売にもならなかった。あんたのことをふっと思い出してさ。もし、もしよかったら、いい口入れ屋を知らないか?」
「ああ、それなら」
 フィリップは笑顔で街の奥を指した。狩りに疲れて職を変える人間は珍しくなかった。
 礼を言って立ち去る男を見送ったフィリップは、ふと街の入り口に目を向け、小さく口笛を吹いた。
「なんだ、今日は懐かしい顔ばかり来る」
「こんにちは、久しぶりね」
 日に焼けた健康そのものの顔に、たくましさを増した体つき。小柄な外見に似合わず、今ではいっぱしの狩人として名を馳せるフローラだった。
「久しぶり。噂は聞いてるよ。またでかいのを仕止めたらしいね」
「うん、うまくいったの。それで弓矢を新調しようと思って。あなたが紹介してくれたノルジーさん、本当にいい腕ね」
 幾度か修理をしたらしい弓を手に、フローラは笑った。
「そうそう、おみやげ。あのときあなたに声をかけてよかったわ。本当にありがとう」
 高価で美味な肉塊の包みを前に、フィリップは誇らしげに笑った。
「どういたしまして」
 だから、人との出会いは楽しいのだ。

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